かつての立梅用水のトンネル
 いまから185年昔、飯南町のリバーサイド茶倉付近の櫛田川に堰を築き、勢和(現・多気町)の田に水を供給する水路・立梅用水が掘られました。用水の延長は約30キロ。櫛田川に沿って山肌をぬうよう蛇行を繰り返しながら、脈々と水を送り続けています。茶倉付近の山のすそ野には、江戸時代、立梅用水のために手掘したトンネルがいくつか残っています。現代では、飯南町内と勢和地内をまたぐ烏岳のすそ野は地下を這うような水路となっているため、地上には顔を出さないので、遺跡としてのトンネルが残されています。
 立梅用水を造った最大の功労者は、江戸時代、勢和に生きた西村彦左衛門。西村彦左衛門は、水がないため田んぼを作れない農民の窮乏を救おうと新田開発を思いたち、30キロの櫛田川から農業用水を引こうという壮大な構想を思いたちました。紀州藩に工事着手を願い出ましたが、なかなか実現せず、自ら資材を投げ打って工事を始めたということです。硬い岩盤の山にトンネルを掘ったりと難工事の連続です。しかも、現在のような機械のない時代のことです。総勢24万7000人の人が掘ったといいます。
 リバーサイド茶倉のあたりから櫛田川に沿って下っていくと、岩場にかつて水を運んだトンネルが見えてきます。


【目次に戻る】